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  • 捲土重来・・転職を繰り返した私が、今あなたに伝えたいこと

    その運送会社が「倒産するかも知れない」という話が流れてきました。

    残業代込みでも、あまりに安い給料・・・ボーナスは無し。将来には全く希望が持てない環境で2年程経った頃の事です。
    「潰れる前に離脱しなければ・・」とハローワークの掲示板をチェックする日々が続きました。
    潰れない仕事・・・ライフラインに目をつけたタイミングでガス会社の求人が目に入り、応募しました。

    結果は「採用」その瞬間は、涙が出るほど嬉しく、毎日手を合わせたい程の気持ちでした。
    出来るだけ早く会社に貢献するべく「熱血モード全開」で日々の業務をこなし、必要以上の資格にもチャレンジし、全て一発合格を決めました。

    ところが・・これが「まさか」の事態に繋がるとは、予想・想像・空想すらしませんでした。
    明らかな僻みによる、現場での「ハラスメント」が露骨になっていったのです。

    現場といっても私を含め、わずか3人です。現場の主任が何度も落ちて、合格に10年掛かった資格を、入社まもない私が一発で決めたわけですから、元々穏やかではない性格の主任のハラスメントに拍車がかかり、もう一人も主任の腰巾着として追随・・

    言われた事をやっても「そんな事はいってない!勝手な事をしやがって」と言われ。
    点検で不備を見つければ「いらない仕事を増やしやがって」とキレられ。
    話の内容を無理やり変に解釈し「俺をバカにしているのか!」と1ヶ月以上完全無視・・などなど・・上げたら本が一冊出来るほどの、女々しい低レベルハラスメントを受け続けました。

    やがてストレスから、不安定な健康状態が続く事となるのですが、いよいよ限界を感じ、辞める事にしました。

    ガス会社を辞めた後は・・実にカラフルな人生を歩みました^^
    知人の勧めで「治療・ヒーリング系」の道に足を踏み入れ、独立まで目指したのですが・・食べていける収入には、なかなか届かなく・・。
    そこから趣味で始めたレザークラフトが、たまたま収入になりやがて勢いも付き・・ヒーリングと二刀流の時代もありました^^
    しかし、子供たちの進学をきっかけに「安定」を求め、建築の作業員に。
    体力と、毎日「命」と向き合う日々・・。夜間作業は・・本当にキツかったなあ・・
    その後もガス会社のバイト(正社員登用を謳っていたのに、バイト終了・・という経験も)を経て、未経験でトラック運転手に。
    気づけば5年・・
    そしてある日、古い知人から「設計事務所の欠員があるから来ないか?」と声が掛かりました。「知人の紹介」というやつです^^
    残念ながら、その後もいくつかの職場で理不尽な目に遭い続けました・・書けば本が一冊出来るほどの話がありますが、今日はここまでにしておきます^^

    振り返ってみると・・私の転職パターンはいつも
    「勢い」か「知人の紹介」か「ハローワーク」
    でした。
    ちゃんとした転職サービスで企業情報をしっかり調べてから動く・・ということを、ほとんど、いや全くしてこなかったのです。
    あの◯ットワークビジネスも、独立も・・もう少し「情報を集める」「見極める」という習慣があれば、結果は違っていたかもしれませんね・・

    転職は「勢い」だけでは危ない。かといって「慎重すぎ」も機会を逃す。
    ちょうどいい「情報武装」をしてから動くのが一番です^^
    私が若い頃は求人広告しかありませんでしたが・・今の時代、転職サイトはとても充実していますよね。本当にうらやましい環境です^^
    その中でも「リクナビNEXT」は求人数・企業情報の充実度ともに大手の安心感があります。「どこのサイトか分からないようなもの」ではなく、ちゃんとした大手を使うだけで、会社選びの「目」が養われます。
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    今、転職を考えていなくても、このご時世いつ何が起こるか分かりません。
    自分の価値や位置などを知るためにも、転職を考えていない余裕がある時こそ、情報収集は充分価値あるものと思います。

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    転職は「人生の分岐点」です。
    私のように何度も迷い道に入り込まないよう・・^^ しっかり準備して、あなたの「次の一歩」を明るい未来の方角に踏み出してください!
    ちなみに今、私はレザークラフト・ブログ・YouTube BGMの3本柱で、自分のペースで動いています。

    捲土重来。私は寿命まで、諦めることはしません。

    どうか皆さんも・・・密かに応援しております^^

  • Hello world!

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  • 熱血タイプは気をつけろ!◯ットワークビジネス

    一旦、地元青森に帰った私ですが、やることは決めていました。
    「もの書き」を追求したく、学校に行くつもりだったのです。
    自衛隊にいると独身者は基地内が住所です。周囲にバレバレなので資料請求すら出来ない環境なのです。ネットなど全く無い時代ですから、まず辞めて自由の身になってからじゃないと身動きが取れなかったというわけです。
    実家に戻り、それっぽい「学校」の資料が届くと・・それは全て「カルチャースクール」の類でした。専門学校のようなものは?無い??無いのか・・それを辞めてから知るという手際の悪さ・・・

    それでも、バブル崩壊直前の「職」が有り余っている時代。東京に行ってバイトを掛け持ちすれば生活には困らないだろう。というコレまた随分と明るい脳みそ状態でした。

    そんな、あと数日で上京しようとしていたタイミングで、高校時代の同級生から電話がありました。
    「地元にいて、いくらでも稼げる仕事がある!」
    始め「こいつ何をバカな事を・・」と思ってましたが、時間に余裕があったものですから、ついつい、文句・ツッコミを入れながらも話に乗ってしまったのでした・・・

    ◯ットワークビジネス。ねずみ講的な昔から無くなることのないビジネスです。
    自衛隊にいる時も何度か耳にしており、全く興味もなかったハズだったのですが・・・
    何故かその時は・・・乗ってしまったのでした。

    「仕事」としてのそれは間違いでした。
    負け惜しみ的に「社会勉強だった・高い授業料だった」と言ったりするものの、「これ」と信じればとことん突き進む「熱血キャラ」で私の性格を、その同級生は上手く利用した。というのはずっと後に本人から聞かされた事でした。
    まんまとヤラレタ・・というわけです。

    広告料をかけない分、マージンを渡せる。本当にイイもので、大量生産出来ないから・・その他、聞かされた時は「なるほど」と思うものの冷静になった時「??あれ?」と疑問に思ったりもするのですが・・
    いずれにせよ失うものは大きく、信頼を回復したとて傷ついた自尊心は後の人生に大きく影響します。
    足を踏み入れない越した事はないです。

    それを「仕事」として熱血モードでやったものの、見込み顧客の取り合いや足の引っ張り合いに嫌気が差し、2年ほどでようやく足を洗いました。

    それでもバブル崩壊直前で仕事はまだまだ溢れかえっていたので、人との関わりに嫌気が差した私は「作業系」の仕事を新聞広告から選びました。
    この頃「リクナビ」のような情報があったかどうかは分かりませんが、当時は求人広告を見て応募する。という選択しかなかったと思います。

    すでに本来のキャラを失った私は、静かに運送会社の倉庫勤務に就きました。
    派手目のスーツを身に纏い、忙しない金金金!の環境から、会社支給の安い作業着で荷物の出し入れその他の雑用をする「落ち着いた」というより「落ちた」ような気分での日々が始まりました。

  • 航空自衛隊・・同じ自衛隊でもこんなに違う・・

    結局私は「一般曹候補学生」の航空自衛隊員として陸上自衛隊の階級のまま教育隊に移動入隊となりました。
    この「一般曹候補学生」。
    今は採用枠が大幅に広がっていますが、30数年前は、空・海200名、陸400名という枠で、いわゆる「エリート」に位置付けされるものでした。

    教育隊の規律正しく、隊員が一丸となって目標に向かう一体感が好きな私にとって、この「教育隊」はこれまたパラダイス。ここでも同期・上官からは一目置かれる存在とはなりましたが・・・
    やはり陸と空の違いに戸惑うこともありました。
    これは基地配属先で更に顕著になるのですが・・

    陸上自衛隊航空自衛隊
    戦闘服作業服
    半長靴(はんちょうか=戦闘靴)編上靴(へんじょうか=編み上げ靴)
    雑嚢(ざつのう=腰か肩に掛けるバッグ)同じものを背負う

    この、雑嚢を「背負う」と指導された時は、ぶったまげたし、そもそもリュックのような「背嚢(はいのう)」というものが存在しない・

    戦闘訓練に関する教範が「終戦直後か?」と思うほど内容・写真が古い・・

    航空自衛隊は、戦闘機を飛ばす為に隊員がいる。という事で
    陸上自衛隊は、一人一人が弾である。なんてのを後から聞き、納得したものですが
    自衛隊内カルチャーショックは、度々感じながら
    日々訓練に勤しみました。

    基本教育終了後は、職種別での教育訓練を終え
    いよいよ基地配属・一般部隊です。

    ここではあまりにも違う陸と空の内容に、テンションはみるみる下がり続け
    結果、しっかりした転職活動もせず辞めることになります。
    バブル崩壊の直前で、仕事はよりどりみどりの時代。
    20代もまだ前半。
    年齢的にもまだまだイケる!と根拠のない自信だけを武器に、特別職国家公務員である
    自衛官という職を離れたのでした。

    陸から空への編入は、転職とは違いますがある意味プチ転職とも言えるのかな?
    と、今になって思ったりするところです。
    気持ちが定まらなかったり、揺らいだりして適切な判断が出来ないという事はありますが
    芯を持っておかないと色々面倒なことになりますね・・。

    強制的に受けさせられた試験。
    まさかの合格の後の曖昧な意思が招いた「人生経験」
    過ぎれば「思い出」ですし、それぞれに学びもありましたが・・・
    反省点多々有り。でございます。

  • 第3話:「想定外・・その理不尽が、動き出すキッカケに」

    教育隊を無事に終えると、いよいよ一般部隊への配属です。
    ここで私を待ち受けていたのは・・想定外の理不尽でした。

    尊敬に値する人ももちろんいますが、こんな無能な奴が?先輩?上官??
    と驚くレベルの人がそれなりにいた事にまず驚きでした。
    ただ、後にわかる事ですが、これは一般企業でも大して変わらず
    どこでも同じである・・と。
    それに気づくには相当な年月が必要となったのですが^^


    そして一般部隊で衝撃だったのが「酒豪特権」という想定外の理不尽です。
    訓練でどうしようもない奴が酒が強いという理由で優遇され、可愛がられる・・
    真面目で体力もあり、同期から一目置かれていた自分が
    酒の席でただ一点「酒が弱い」という理由だけで蔑まれ

    「呑めない人間は信用ならん」
    「真面目な奴は嫌いだ」
    決まり文句の「俺の酒が呑めねえのか!!」

    ・・・????
    全く理解が及びませんでした。


    さらにその頃、私の頭の中にはある「疑問」が芽生え始めていました。
    戦後のお花畑教育の影響で・・
    「戦争なんて起きるはずが無いのに、自衛隊は税金の無駄ではないのか?」
    という考えが、地味に強まっていったのです。

    戦闘機一機、ミサイル一発の値段で
    どれだけの国民の生活が豊かになるか・・などと
    真面目に考えたりしていました。
    今となっては恥ずかしい話ですが、当時は本気で思ってました・・

    バブルで盛り上がる時代、国民に広く自衛隊不要論が蔓延し
    自衛隊は「人に言えない職」であるかのような位置付けでした。
    尊敬出来る先輩がとても少ないなか、存在意義への疑問はさらに深まるばかり・・


    そんなモヤモヤを抱えたまま迎えた、ある試験。
    一般人と現職自衛官を対象にしており、合格すれば2年後にある階級が保証されるもので、過去に2度不合格していた私は受けるつもりはありませんでしたが、強制的に受けさせられました・・・

    私はその試験の価値をあまり感じていなかったので、陸海空の選択を
    当時最も合格枠が狭かった「空」にしました。
    「落ちた言い訳に使おう」という浅はかな考えです。

    ・・しかし。??合格・・

    慌てて「陸に変更したい」と申し出たものの却下され、
    存在意義の悩みも解消出来ず、流されるまま
    航空自衛隊への移動となったのでした。
    これが私の人生を動かす大きな「まさか」でした。


    人生、思い通りにならない時こそ
    外の世界を知っておくと、心に余裕が生まれます。
    「どうせ無理」と思う前に、まず情報収集だけでも・・

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    次回は「航空自衛隊・・新天地での現実」をお届けします。

  • 第2話:自衛隊がパラダイスだった理由

    前回、父にキレられて自衛隊を決めた話を書きました^^
    今回はその続き・・なぜ私が自衛隊を「パラダイス」と感じたか、です。

    まず、私の家庭環境から少しだけ話す必要があります。
    明治生まれの祖母、戦前生まれの父に、戦中生まれの母・・
    一人っ子だった私は、この3人の「昭和以前の価値観」という環境に完全包囲されておりました。

    朝起きたら父の前で正座をして挨拶。
    食事中の私語は慎み、素早く終わらせる。
    規律・礼儀・従順・・それが空気のように当たり前の家庭。今思えば奴隷か?ですよ・・

    もし当時の同世代の友人が泊まりに来たらストレスで過呼吸になって倒れるレベルだと思います・・^^
    (もっとも、友人が泊まるなんて学校規則に反する事は、我が家で断固許しませんが)


    そんな環境で育った私が自衛隊に入ったわけですから・・
    「楽・・本当に楽。え?こんなに楽をして、報酬をもらっていいのですか?」

    上下関係? 当たり前、自然当然。
    規律の厳しさ?どこが??
    集団生活のルール?むしろ家より緩い^^ゆるゆるでしょ・・

    もう、毎日が修学旅行のようなテンションでした。
    なので、時折罪悪感に近いものを感じながら、毎日を過ごしていたほどです。
    体力が充分にあるので訓練も余裕。上官・同期からも一目置かれる存在の自分・・

    まさにパラダイス、でした。


    誰よりも早く出世して、25歳には今の彼女と結婚するんだ!
    そんな目標があり、生きているのが本当に楽しく充実していたのですが・・・

    突然谷底に突き落とされるような事件が起こりました・・・
    他人から見れば「ふーん・・そうなんだ」程度の話かもしれませんが、本人にとっては生き死にに関わるほどの事だってあります。

    はい。振られました・・彼女の心の中に違う男性がいる。。と
    「まさか」です。
    そして「まっさかさま」です。

    ショックで力が入らず、訓練では「普通の人」に成り下がり
    体調不良かと確認されて、失恋したと知られると・・笑われ・・
    「え?振られた?別れたんなら次行けばいいじゃん」と軽く言われ・・

    一気に目標が消えて無くなったわけだし、何たってホント「まさか」ですから。


    そこでボンヤリ考えました。
    別に自衛隊にい続けなくて・・もイイんじゃないか??
    そんな時、本屋で「フランス外人部隊」という本を買いました。
    行こうか?とも思いある程度調べたりもしましたが、行動には移さず。
    でも、しばらく「抜け殻状態」が続きました。

    実はコレ自衛隊あるあるで、失恋で命を断つ話も決して珍しい事ではないのです。
    特に、独身隊員は駐屯地・基地内の居住が義務付けられ、当時はかなり外出の制限も厳しかったので思い詰めて、そんな事になってしまうのですね。


    そんな時は思考・視点を変えて外の世界を覗いてみるのもいいかも知れません。
    「俺の運命は・・」などと占いやスピリチュアルに走るよりも
    違う仕事を知ることにより、今の環境が客観的に見えてきますし気晴らしにもなります。

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    次回は「想定外・・その理不尽が、動き出すキッカケに」をお届けします。

  • 「『自衛隊に入るために生まれてきた』と言われた自分が、辞めた話」

    今の時期・・・
    自衛隊入隊後のGWを終えたころ
    「辞めたい病」に
    罹患する隊員がチラホラ出る傾向がありますね・・

    私が入隊した約40年ほど前の事・・
    同期隊員の殆どはGWに限らず、いつも辞める話で盛り上がっていましたが
    当時としては珍しいタイプだった、好きで入隊した私は
    その感覚は全く理解出来ずにいたものです。

    その自分が・・・
    それから4年後に辞めるなんて・・・
    自他共に、想像すらしていなかったのですから。


    私が自衛隊を決めたのは
    時代がバブルに向かって一直線だった高校2年の夏。

    ぼんやりと体育大学にしようか農業大学か・・などと思っていた時に
    キレた父に言われた一言で決めました。

    「お前!ラグビーだか何だか知らないが運動ばっかりしやがって!!!」
    「警察か自衛隊にでも行くつもりか!!え!!?」

    「????あ・・そっか・・それだ!」

    様々な自衛隊の「都市伝説情報」が入って来て
    進学校だった為か思想の為かは不明だけれど、進路指導室に呼ばれて
    「自衛隊に行く考えを改めないか」などと説得されたりして・・
    もちろん全くブレることはなかったですけどね。


    事あるごとに先輩に殴られる
    毎日42,195キロのフルマラソンを走る
    映画ランボーのようにサバイバルを毎月やる
    1時間以上腕立て伏せをさせられる・・等など

    全てがデマでしたが・・

    素直にほとんどを信じていた私は、シッカリそれに備えましたね。

    3年生引退後もラグビー部継続。
    1・2 年生と一緒に練習し、通学の行き帰りは足に1キロの重りを装着して走りましたよ。
    もう、ペース配分無しの全力疾走。ラガーマンスピリッツ!
    整理整頓、素早く綺麗な身支度など自分なりの万全を期しましたね。


    で、いざ入隊すると?

    それまで備えた「自主練」のおかげで「全てが余裕」
    あまりにも余裕で、もう笑っちゃうくらい。
    「備えあれば憂い無し」とはこの事です。

    そんな滑り出しの新隊員教育隊だった思い出ですが
    感覚としては、つい最近という感じですね。
    冷静に遡ると・・・・39年前の事でした。
    父にキレられたのは40年前か・・・
    全く遠い感覚ではないのが不思議ですが。


    人生には三つの坂があります
    上り坂・下り坂
    そして
    「まさか」という坂があるのです!

    というくだりは、結婚式でよく聞く事なのですが・・
    実際ホントに人生は「まさか」の連続で・・
    不安にかられることも多くあります。

    でも?
    その「まさか」に備え乗り切るために「安心材料」を装備していると
    気持ちに余裕が生まれます。

    それは何かの保険に入る事ではありません。

    「知る事」です。

    私が自衛隊を辞めた理由・・
    複数の事が複雑に絡み合っていまして、詳しくは次回以降でお話しします。
    ただ一つ言えるのは、辞める前に「選択肢の多さ」を知っていたら
    もう少し気持ちに余裕が持てたかもしれないという事です。

    「転職活動」で自分と社会を知る事で、知らない人とは雲泥の差が出来ます。
    実は選択肢は幾つも・・無限に存在している事実を知る事です。

    不安や迷い、壁にぶつかる前の
    余裕がある状態での情報収集を私はおススメしますよ。

    今の時代、情報収集は無料で出来るのでありがたいですね。
    まずは登録だけでも、外の世界を覗いてみてください。

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    知った上で、今をシッカリ生きましょう。


    次回は「自衛隊がパラダイスだった理由」をお話しします。